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2006年02月10日

沖縄本島 宜野湾市の観光案内

沖縄本島 宜野湾市の観光案内

 中部地区(宜野湾・沖縄・読谷)の宿泊施設一覧 


宜野湾市の観光

トロピカルビーチ

   
コンベンションエリア内にあるトロピカルビーチ。
白砂のビーチと金色に輝く太陽、エメラルドグリーンの海はリゾート気分を満喫させてくれます。
ビーチで遊んだ後は、リゾートホテルでお食事?それともマリーナでクルージング?
楽しみ方はあなた次第です。




宜野湾港マリーナ

ヨッティング、ボーディング活動の他、各種イベントも行われています。
毎年恒例の「マリンフェスティバル」では、ヨットやモータークルーザーの体験試乗会、釣大会、ヨットレース、ボードーセーリング大会、ヨット教室などが行われています。
また、毎年4月上旬から7月にかけて本島内の主要ビーチや観光・文化施設などで県をあげて行われている「海のカーニバル」の会場の一つにもなっています。


宜野湾市の伝統・芸能

■普天間獅子舞
普天間の獅子舞は、旧暦7月13・15日の両日と8月15日に災厄を払い、部落の発展と豊年満作を祈願する目的で催されています。
 
■大謝名獅子舞
大謝名の獅子舞は、戦後長らく絶えていましたが、区民の伝統芸能を大切にする心意気により、昭和51年の旧暦8月に33年ぶりに復活されました。
獅子舞は現在、8月15日の一夜だけ部落道の要所と公民館前の広場で催されますが、戦前は7月15日と8月15・16日の三日間も行われていました。
■芸能
■我如古スンサーミー
我如古スンサーミーは、伝承によると察度王の三男の孫にあたる我如古大主が我如古城を築城した際、その祝宴に披露したのが始まりといわれ、それ以来、毎年豊年や子孫繁栄を願って旧暦8月17日に踊られていました。しかし、いつ頃からか旧暦3月3日に踊られるようになり、「3月踊り」、「スンサーミー」と呼ばれています。
平成7年12月27日には市無形民族文化財に指定されています。
 
■野嵩マールアシビ
宜野湾市野嵩のムラアシビ(村遊び)の中で1924(大正13)年まで演じられていたであろう組踊

宜野湾市の文化財

■喜友名の石獅子群

喜友名は、集落全体が碁盤の形の様に規則正しく区画整理された古き時代の計画集落のひとつです。
そこには、あたかも集落を取り囲むように石彫りのシーサー(獅子像)があり、部落や屋敷内に他から厄や忌み嫌われるものが入らないようにと置かれています。
シーサーは七体あり、集落の東外れに一体、南外れに四体、西外れに一体、北外れに一体置かれています。それらは威厳にみちた立ち構えやユーモラスな顔つきをしたもの、普通の穴だらけの山石と見間違えるものなど、表情豊かなシーサーたちが集落を守っています。
 
■森の川

沖縄県が「琉球国」と呼ばれていた1372年、沖縄中部地域(中山)の王として公式に初めて中国明朝と外交を開いた人が、碑文に記される私たち郷土の偉人察度です。
彼は、この清泉「森の川」で出会った貧しい奥間大親と天女の間に生まれた高貴な人物とされ、その田畑には金銀が溢れ、黄金宮(現在大謝名在)と呼ばれる楼閣に住んでいたと伝えられています。
その金銀とは、当時の「謝名(現在の大謝名・真志喜・大山の総称)」地域の土地・海幸の豊かさと住民の勤勉さをものがたっているのでしょう。
 
■大謝名メーヌカー

大謝名メーヌカーは、市立大謝名小学校の裏門側にあり、地下水が流れ出る洞穴にヤギのあごひげのような“樋”をかけて湧き水を導く形式の湧泉です。
大謝名地区では、上水道が完備するごく最近まで、日頃の生活用水はもちろん、新年を迎えるときに身を清める正月の「若水」、子供の出生のときの湯浴みに使う「産水」などは、この湧泉の水を利用していました。
その恩恵にこたえて、区民の方々は今でも、正月、二月、八月の節々にカーウガミ(泉拝み)を行っています。湧泉の正面は、大きな石柱で区画された三本の樋の架かる水口を残して、洞穴の開口部全体を、布積みの切石で頑丈にふさいでいます。
樋の下には、市内の他の湧泉に普通にみられる貯水槽はなく、階段の敷石になっています。
また、周囲の土溜め壁の石垣は大きな石を使用し、一部に切り石がみられますが、そのほとんどは自然石の野づら積みで三段に積まれています。正面には、みずの香炉を安置した小室があります。湧泉に降りるカーピラ(泉坂)と呼ぶ石畳道は、幅2~2.5、長さ約24mの25段の石段が作られ、踏み石もきれいに残っています。
 
■我如古ヒージャーガー

我如古ヒージャーガーは明治25年(1892)、部落の新末吉と上間家の優れた石工二人の指導により、部落民総出での半年の月日をかけて現在の石造りに仕上げたと伝えます。
この湧水の素晴らしさは、やはり明治22年頃に造られた喜友名カーグワーの石積みと同じように、不整形な積み石の面がカミソリさえも差し入れられないほど精巧にかみあう“あいかた積み”の手法が湧き口周囲の石垣部に取り入れられていること。
その湧き口に降りる十五階段を数える石畳道の下側の五段部分が自然の岩盤を削って仕上げられ、それが左右両袖の“あいかたと雑積み”石垣の基礎となっていることなのです。
 
■小禄墓

去る沖縄戦では数多くの人々が亡くなった激戦の地「嘉数高台」の北側には、中城村境にある琉球大学構内より延々と4.5kmも長く続き、国道58号線をこえて西海岸へと流れる比屋良川があります。
市内でも数少ない緑豊かなその川筋の両脇には、そそり立つ十メートル余りの断崖を、多い所で三段も横穴状に彫り込んだ数百年にさかのぼる古い墓軍が連なっています。
小禄墓は、そうした川べりの急な崖の中腹を彫り込んで、前面を切り石や自然の雑石でふさいだ古い形の墓です。
墓の大きさは幅8.5m、高さ2.4mを測りますが、葬式の時に御矯(肩にかつぐ輿)がそのまま入ると伝えるように、普段の墓口とは別に石積み部分に目地がついていて、幅1.7m、高さ2.4mの範囲がいつでも取り外せるように工夫されています。



このページの観光案内は、沖縄県 宜野湾市観光振興協会の資料を参考にさせていただきました。


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