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2006年01月16日

宮崎県



延岡城跡 城山公園

「延岡城」は、慶長8(1603)年、時の領主、高橋元種が銃火器を使用した近代戦に対応するため、また延岡の経済流通の拠点とするため、五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれた丘陵地帯に築城された。
銃火器戦に対応するため、壮大な石垣に囲まれた堅牢な構造であった。
建物は明治4(1871)年の破城令によって、ほとんどが取り壊されたが、 千人殺しを始めとする石垣等の遺構は今も大部分が健在であり、当時の面影を偲ばせる。

また、城山公園には、明治11(1878)年に太鼓櫓跡に鐘撞き堂を建て、それまで今山八幡宮で梵鐘として使用されていた鐘をそこに移して時鐘とした。
その鐘は、歴代の鐘守に守られながら、124年もの間延岡市民に時を告げ続け、「城山公園」は、延岡市民の憩いの場であり、心の拠所となっているのである。

城山公園 千人殺しの石垣

千人殺しの石垣

北大手門の階段を上がったところにある、高さ22mという壮大な石垣で、この石垣は二の丸から本丸への侵入を防ぐためのもの。
礎石をはずすと、たちまち石垣が崩れ、千人の敵を殺すといわれたところから、この呼び名がつけられたと伝えられています。

また、「千人殺し」の石垣の前に広がる「二の丸広場」では、毎年10月の第2土曜日に、延岡藩最後の藩主、内藤家が代々引き継いできた非常に貴重な能面を使用し、「人間国宝」片山九郎右衛門氏を始めとする本邦随一の演者達によって舞われる「延岡城址 天下一薪能」が行なわれます。

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神々溝(かんがみぞ)

神代時代に天照大神の孫、ににぎのみことが高千穂峰におりたとき(天孫降臨)、猿田彦命(道路神)が八百万の神々を従えて出迎えるために造った道ともいわれている。
長さ約500m、高度差約10mの溝は、約20,000年前、高千穂の峰火山の活動期に流出した熔岩が、冷却の途中で、流れに直行する方向に動いたために、その上に乗っている固まった熔岩がフランスパンのように裂けて生じたものである。
そのため、数ヶ所にわたり、左右の凹と凸が対応しているのが見いだされる。

興玉神社内神殿

この内神殿は、もと正応寺薬師堂の厨子でしたが、1867年(慶応内神殿として転用されました。
1339年に造られたもので、貴重な建築様式を伝えており、宮崎県最古の建造物として残っている。また、国指定文化財にもなっています。

*国道222号線を鹿児島方面へ車で約25分。

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鬼の洗濯板


「波状岩」:
 俗に「鬼の洗濯板」と称され、新第三紀(約1500~3000万年前)に海中で出来た水成岩(砂岩と泥岩の累層)が隆起し、長い間の波蝕により出来たもので、青島から南の巾着島までの約8kmの海岸線に見られます

青島神社

祭神は海幸、山幸の伝説で知られる山幸彦(ヒコホホデミノミコト)とその妻豊玉姫(トヨタマヒメ)と塩土の翁(シオツチノオキナ)。
 奉祀の年代は明確ではありませんが、国司巡視記「日向土産」に″嵯峨天皇の御字奉宗青島大明神(さがてんのうのぎょうあがめまつるあおしまだいみょうじん)″と記されており、820年代以前から奉祀されていたと思われます。

 鎌倉時代以後に至っては一般の崇敬がいっそう盛んとなり、文亀3年(1503)都於郡城主伊東尹祐が再興し、更に大永・天正・貞亨・寛保・明和・文化・明治・大正10年において再興改築され、近くは昭和49年2月12日に本殿を焼失、昭和49年12月15日に再建されました。
 本島は中古において、霊域として一般の入島は許されず、わずかに旧暦3月16日より3月末日までの入島が許されたにとどまり、しかも他領人の渡島参拝は禁じられていました。その後元文2年(1737)5月23日他領人の参拝が許され、全国の信者が参集し、現在の盛況をみるに至っています。


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