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2006年01月11日

大分県


大分県観光協会


別府八湯

別府八湯とは市内8つの代表的温泉地の総称です。
これらはもともと独立した温泉場として栄え、古いものは8世紀初めに遡る歴史を持つ温泉もあります。

明治時代以降、交通の便が確保され温泉場の開発も進み、大正時代には現在の8つの温泉地に「由布院」、「塚原」を加えた「別府十湯」と呼ばれていました。 その後の町村合併等で大正13年に市制施行されるまでに現在の「別府八湯」の名称が定着したようです。

8つの温泉地は市内全域に点在しているので、同じ市内でも泉質が異なり風景も温泉地ごとに趣があります。温泉の入浴形態も様々なので一度にいろいろな温泉を満喫することができます。

浜脇温泉画像
浜脇温泉
別府温泉発祥の地で浜から温泉が湧き出る様子から「浜わき」の地名が生まれた。鎌倉初期には、朝見八幡の創立、江戸時代には港町・温泉町・門前町として陸海交通の要衝で急速に発展。今でも昔風の旅館が並び、明治・大正時代の花街の名残もとどめている。
平成3年には、再開発事業の一環として、浜脇温泉と多目的温泉保養館の「湯都ピア浜脇」がつくられ、急速に現代的な顔に変わろうとしている。
別府温泉画像
別府温泉
伊予国風土記に「速見の湯」として記されているが本格的脚光は江戸時代である。明治に入ると別府湾の築港、日豊本線や別大電車の開通、又、掘削技術の導入等で泉源数、温泉施設・温泉宿とも増加した。さらに大正・昭和と温泉施設も充実、次第に市街地が拡大されて別府八湯の中心となる。
又、別府温泉のシンボル竹瓦温泉を有し、毎年4月に行われる温泉まつりは別府市民の総参加の祭りで、この界隈を中心に行われる。
亀川温泉画像
亀川温泉
江戸時代の豊国紀行に「里屋に温泉有り、塩湯なり里屋村を又亀川村という」と記されていて、海岸に豊富な温泉が湧出し天然砂湯は亀川温泉の名物であった。又、その頃は別府の北の玄関として豊前小倉への交通の要衝でもあったため旅人の疲れを癒す湯治場として栄えた。
現在は一遍上人が上陸したといわれる上人ヶ浜公園の一角に市営の別府海浜砂湯が有り、周辺には温泉を活用した病院や療養施設、保養所を数多く有している。
鉄輪温泉画像
鉄輪温泉
八湯の中で最も温泉場らしく感じられる鉄輪温泉はおびただしい湯煙が立ちのぼり、まさに別府を象徴する景観である。
鎌倉時代「玖倍理湯の井」といわれた荒地獄を一遍上人が開発、その一遍上人創設の「むし湯」付近が鉄輪の中心地で、狭い道の両側には、多くの共同浴場・旅館・土産品店がひしめいている。さらに鉄輪独自の入湯貸間旅館も健在で、遠来の入湯客が絶えない別府の代表温泉地である。
観海寺温泉画像
観海寺温泉
温泉場としては鎌倉時代に発見され、江戸時代の豊後国志に「観海寺に行くには交通は極めて不便だが、景勝は壮観なので浴客が盛んに訪れている」とあり、海抜150m別府八湯のうちでも一番見晴らしが良い。昭和6年の大火後、復興し観光温泉場として急速に発展。
現在では別府を代表する大型リゾートホテルが連立し、レジャーの殿堂となっている。又、地熱の利用も盛んで、照明、暖房等に活用しているホテルもある。
堀田温泉画像
堀田温泉
湯治場として江戸時代に開かれ、その頃立石の湯から堀田温泉と呼ばれるようになった。
豊富な温泉に恵まれていた堀田温泉は、湯布院・日田あるいは太宰府等へ通じる交通の要衝であったため、長旅の疲れを癒す旅人たちの憩いの場として栄えた。今でも田んぼや谷あいから盛んに硫気が噴き出していて、豊富な温泉は市内に給湯されている。
柴石温泉画像
柴石温泉
895年に醍醐天皇が、1044年には後冷泉天皇が病気治療のためご湯治されたと伝えられている。江戸時代に柴の化石が見つかり、「柴石」と呼ばれるようになった。
 市営柴石温泉は平成9年4月ふれあい・やすらぎ温泉地として装いも新たにオープンした。温度の違う2つの温泉や露天風呂、蒸し湯が楽しめ、家族湯も新設された。優れた自然景観は近くに森林遊歩道を有し、鉄輪・明礬と共に国民温泉保養地に指定されている。
明礬温泉画像
明礬温泉
わらぶきの「湯の花小屋」からは白い噴煙が立ちのぼり訪れる人を楽しませてくれる。江戸時代は「明ばん」の採取地で質量とも全国一になり、採取事業の隆盛とともに湯治場として発展した。
今は名産の「湯の花」とともにザボン湯も有名で湯の香りと甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐり、肌もつるつるになると大好評。

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京 石

(安心院町指定=史跡)



 米神山西南麓、対が二対、一本立が三本、倒伏二本、計九本が、環状に林立する、ストンサークル<環状列石群>である。
 代表的な一対を測ると、円柱形の方は、高さ263cm、周197cm、少し平たい方は、高さ281cm、周225cm、米神山の中腹にある自然の石柱群と相対し、太古祭祀の遺跡ではあるまいかと推定され、神社の起源とか、鳥居の原始の姿とか、南天遙かに由布山の霊峰を望む位置である。
 仏教関係では、写経などを埋めた印の経石か、ストンサークルは人工的配石遺構で、縄文人が、何のために造ったかは解明されていないが、明らかに、古代の巨石記念物であろう。定説はまだない。原始宗教に関する好個の資料として、学者の研究が期待されている。



院内町の石橋

鳥居橋は院内町75基の石橋を代表する5連アーチの石橋で、細く長い橋脚から「石橋の貴婦人」とも呼ばれています。名工松田新之助により大正5年7月に完成し、これまで多くの大洪水にも耐えたのは設計と技術の正確さを証明しています。夜間10時までライトアップされており、昼とは違った神秘的な姿を見せています

石橋の技術は、江戸時代初期に中国の僧によって長崎に伝えられ、以後、九州全域に広まったと伝えられています。
  院内町に石造アーチ橋が多いのは、いくつもの深い谷に集落が点在するという地形上の理由と、川が急流で木橋では流されてしまうため石橋が求められたという背景があります。もともと院内では谷あいの段々畑を区切る石垣や水路をつくるため、石工の技術が男たちに必要とされていました。名棟梁・松田新之助に代表される優れた院内の「匠の技」が、「日本一の石橋のまち」をつくった大きな力となったわけです。 古くから人々の生活をつなぐ交通路として、また人と人をつなぐ心の懸け橋として。一つひとつの橋には、その橋の建設を望んだ人々の願いや、石工たちの橋に対する想いが込められています。



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歴史探訪 ゆっくり散歩

 その昔、豊後(大分)の中心地として栄えた上野元町周辺を懐古しながら散策してみよう。
四季折々の変化も楽しめます。元町石仏の周囲には田園風景が広がり、野を渡る風もさわやかです。リフレッシュコースとしてもおすすめ。

元町石仏

元町石仏 

凝灰岩の岩壁に立体の石仏が半肉彫りされている。中尊の薬師坐像の高さが約3メートルで、別名岩薬師、元町薬師ともよばれている。平安末期(12世紀)の作と推定されるが、奈良時代、百済の僧日羅の作とする伝えもある。
円寿寺

円寿寺

 境内地約5,000平方メートル、堂宇は、本堂、庫裏、山門、鐘楼、大師堂などを備えている。寺宝には、県指定有形文化財の紙本著色 図六曲屏風と絹本著色柿本人麿図がある。
金剛宝戒寺

金剛宝戒寺

高野山真言宗の寺。神亀4年(727)僧行基が聖武天皇の勅命により、荏隈郷(市内古国府)に一宇を建立した。これが当時の開基とされている。徳治2年(1307)、大友氏六代真宗が奈良西大寺の幸尊を請じて、中興開山とし、寺基を今の大分市街の南、上野台に移した。

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よみがえった臼杵石仏

臼杵石仏は、九州の東海岸、大分県臼杵市大字中尾・深田に所在しています。この地には、切り立った丘陵の崖面に彫りだされた磨崖仏と一つの岩の塊まりを削って石像とした持ち運び可能な石仏との二種類あります。
臼杵の石仏は、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られているため、風化しやすく、永い年月の間に亀裂を生じたり、剥落するなど傷みがひどくなっていました。このため、1980年から1994年までの14年間、磨崖仏を中心に保存修理工事が行われました。さらに、保存修理の効果をより高めるために修理の終わった各磨崖仏群に保存施設としての覆屋も設置されました。この修理の中で、多くの人々から最も注目を集めたのは古園石仏の修理でした。ここには、長い間親しまれてきた中尊大日如来像の仏頭が地上に安置されており、修理に際して、仏頭を元の位置に戻すかどうかの論議が市民の間から沸き起こりました。約4年間にわたる論争の末、保存して将来に引き継いでいくためには復位すべきであるという意見が大勢を占め、これを受け大日如来の仏頭復位が行われました。
仏頭復位の成った大日如来は、その姿を一変しました。両肘を左右に十分に張り、お顔は、両頬が丸く張りをもって彫られ、両眉は、美しい半円弧を描き、両眼のまなじりはわずかに切れ上がり、豊かな抑揚を見せる大きな眼をはっきりと刻んでいます。そして、お顔の形を引き締めるかの様な小さな唇と締まった顎の表現によって、全体としては、典雅でしかも力強い像形がうかがえるようになりました。
こうした像形から、古園石仏の中尊大日如来像は、臼杵磨崖仏中の秀作、我が国石造美術の最高傑作の一つと言われています。 臼杵磨崖仏は、古園石仏・山王山石仏・ホキ石仏第1群・ホキ石仏第2群の四群から成っています。いずれも造顕年代は、はっきりとしていませんが、美術史的見地からは、平安時代後期~鎌倉時代にかけて彫られたと考えられています。 保存修理の終わった臼杵磨崖仏は、その姿を一変し、本来の姿に近い、見事な出来ばとなったことが高い評価を受け、59体の磨崖仏が1995年6月15日に、石仏としては我が国ではじめて「国宝」の指定を受けました。

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震動の滝

落差83メートル、水量の多い時は周囲を震動させる様であり迫力満点。
日本の滝百選に選定された竜神伝説の残る九州屈指の滝で、滝つぼ周辺には温泉が湧出しており、鍾乳洞もあります。
滝開きや紅葉祭には多くの観光客で賑わいます。

 申し訳ございませんが、鳴子川大吊橋(仮称)
 建設中の為立ち入り禁止となっております。
 ご了承ください。(~平成18年3月予定)

小松地獄

標高1,100メートルの大自然の中に吹き上がる蒸気と噴出する不気味な熱泥。
岩肌にこびり付いた噴出物の色合いは、地獄のような雰囲気を醸し出しています。
周辺には九重九湯のひとつ筋湯温泉郷や八丁原地熱発電所などがあります。筋湯温泉の各旅館では、小松地獄の噴気を利用して鶏一羽を丸ごと蒸す名物料理「極楽温鶏」が味わえます(要予約)。

龍門の滝

国指定の名勝地で、筑紫溶岩台地を削ってできた落差20メートル、幅40メートルの豪快な二段落としの滝。
鎌倉時代、宋からの渡来僧蘭渓道隆禅師がこの地に立ち寄り、河南府の竜門の滝に似ていることから命名されたと伝えられています。
夏の風物詩になっている滝滑りは有名で、子どもたちの歓声がこだまします。

湯布院・くじゅう・日田・天瀬・竹田の宿泊施設一覧

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日田市観光協会 あまがせ町観光協会 三重町観光協会
緒方町観光振興公社 由布院温泉観光協会
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