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2005年12月21日

兵庫県

兵庫県のスキー場ガイド



洲本城

三熊山は高熊山、乙熊山、虎熊山の3つの山からなっています。
三熊山にはくに指定史跡洲本城跡があり往時をしのぶ石垣が残っています。
山上には昭和3年に建てられた模擬天守閣があります。また三熊山は瀬戸内海国立公園に属し紀淡海峡を一望できる景色が素晴らしく、たくさんの貴重な植物も自生しています。



その昔、大阪・中座で芝居を興行中、木戸銭(見物料)箱に木の葉が入っていました。不思議に思って調べてみると、なんと狸がお客に混じって芝居見物をしていました。この狸が「柴右衛門狸」です。三熊山に住み、毎日のように人間に化けては芝居見物にでかけていたとか・・・。
 柴右衛門狸は、「芝居の神様・柴右衛門狸大明神」として、洲本八幡神社に祭られています。出身地の三熊山では洲本城天守閣のそばに昭和37年に藤山三美さんや、片岡仁左衛門さんらの寄進で建てられた祠もあります。

この柴右衛門狸の仲間がそろって「洲本八狸」として親しまれています。洲本市内の「洲本八狸」のかわいい石像を探してみてください。

淡路島(洲本・南淡・津名)の宿泊施設一覧

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洲本市観光協会 淡路町観光協会 津名町観光協会



「消えた仏師の里」に伝わる伝説

元禄八年、氷上・清住の谷から朽ちかけた七十体余りの仏像が発見された。
共通してお腹のふくらんだ独特の様式が見られること 未完成のものや、十六体もの兜跋毘沙門天があることなどから平安・鎌倉初期、ここに仏師の工房が存在したのではないかといわれている。
 
東大寺の古文書に「丹波講師快慶」という文字が記されていることも考え合わせるとその仏師たちの中に快慶が居た可能性もあるという。

戦国の世、明智光秀の丹波攻めの折り兵火を避けるため、仏像はひそかに僧侶たちの手で谷の奥深くへと運び出された。

そして、仏師の里は歴史から姿を消した。無心で木を彫る槌音がいにしえの山々に響いていたのだろうか。

仏像は真実を秘めたまま、静かに佇んでいる。





達身寺

歴史

達身寺の前身は、よく解っていないが、寺伝によると、織田信長の丹波平定の命を受けて明智光秀が、丹波攻めをし、篠山城や保月城などが攻められた。
達身寺は当時、僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院であったと言い伝えられている。
その僧兵が保月城に加勢をしたと言うことで保月城を落とすまでに寺が焼かれたと言われている。
寺を焼かれる前に、仏像を守ろうと僧侶達が谷へ運び下ろした。仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられている。
元禄八年(1695)、この村に疫病がはやり、多くの人々が亡くなった為に、占い師に占ってもらった結果、『三宝を犯した仏罰である。』と言われ、村人達は山に登り放置された仏像を集めて、破損していた達身堂をこの地に下ろし、修復し、仏像を安置し奉った。

仏像の特徴

達身寺の仏像は木彫仏であって、大半が一木造りである。寄木造りも多く作られたはずだが、長い間放置された為、寄木では仏像の姿で今の世に残ることが出来ず、破片化してしまった。
又、一寺に一躯奉ればよいと言われている兜跋毘沙門天が十六躯もあると言うこと、本尊仏になる仏像が多いこと、未完成の仏像があること、仏像のお腹がふくらんでいること(これは達身寺様式と呼ばれている)等が挙げられる。

兵庫中部(和田山・神鍋高原・ハチ高原)の宿泊施設一覧

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氷ノ山鉢観光協会 丹波市観光協会 山南町観光協会 市島町観光協会
春日町観光協会 青垣町観光協会 柏原町観光協会 氷上町観光協会
和田山町観光協会



写真

淀の洞門


切浜の北側、岬の先端にある洞窟が、淀の洞門です。
高さは18メートルあり、海水が入り込んだ洞窟の内部は、海賊伝説がよりいっそう神秘的な雰囲気を演出しています。

兵庫北部(城崎・香住・湯村・出石・浜坂)の宿泊施設一覧

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湯泉神社境内

湯泉神社

有馬温泉の守護神として名高い湯泉神社の縁起によれば、泉源を最初に発見したのは、神代の昔、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であったと記されています。この二神が有馬を訪れた時、三羽の傷ついたカラスが水たまりで水浴していました、ところが数日でその傷が治っており、その水たまりが温泉であったと伝えられています。
 温泉のありかを教えてくれたこの三羽のカラスだけが有馬に住むことを許されたと伝えられており、「有馬の三羽からす」と呼ばれています。有馬温泉の存在が知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593~641年)、第36代孝徳天皇(596~654年)の頃からで両天皇の行幸がきっかけとなり有馬の名は一躍有名になりました。日本書紀の「舒明記」には、舒明3(631)年9月19日から12月13日までの86日間舒明天皇が摂津の国有馬(原文は有間)温湯宮に立ち寄り入浴を楽しんだという記述があり、それを裏付けています。

釈日本紀によると、孝徳天皇も同じく有馬の湯を愛され、大化の改新から2年後の大化3(647)年10月11日から大晦日環幸までの82日間、左大臣(阿部倉梯麿)・右大臣(蘇我石川麿)をはじめとする要人達を多数おつれになり滞在されたとの記述があります。


神戸市内・有馬温泉の宿泊施設一覧

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有馬温泉観光協会 神戸国際観光コンベンション協会



江井島の酒蔵群

かつては東の「灘」に対して「西灘」と呼ばれ並び称されていた江井島。一帯は、300年以上も前から盛んに酒造りが行われていました。黒い焼板の壁の酒蔵が当時の面影を伝えています。旨い地酒や銘酒の中には手に入り難い酒もあります。






御坂サイフォン(眼鏡橋)

写真御坂神社の裏山にあるサイフォンは、淡河川から送られて来た水を山頂から急角度で52,5m下へ落下させ、その勢いで神社前の志染川の橋の中を通って反対側の50mの山の上に押し上げます。
この水は神戸市西区など高台にある田畑に送られるものですが、開拓地の灌漑工事が計画されたのは明和8年(1771)のこと、それが外国人の手によって着工されたのが117年後の明治21年でした。
 当時、内務省雇員だったイギリス陸軍少将パーマー氏が設計し監督にあたったもので、鉄管もイギリス製です。
志染川の上を立体交差で川水が運ばれるサイフォン橋は、手前の細い坂道を降りて行き土橋の上から眺めると、眼鏡橋になっていて、緑に囲まれた川の流れる風景は、ヨーロッパにいるような錯覚をおこさせます。
下流から眺める眼鏡橋は後に拡幅されたもので、上流側は明治の石組のまま残っています。

兵庫南中部(明石・加古川・三木・西脇)の宿泊施設一覧

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姫路城

姫路城築城以来400年、この地に砦が築かれてからでは600年を超える歴史があり、数多くの国宝、重要文化財、伝説などを有する、姫路市のシンボル。
法隆寺とともに1993年12月、日本で初めてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録され、日本に現存する城の中でも世界的に高い評価を受けています。 5層7階の華麗な大天守と東、西、乾(北西)の3つの小天守などから成る「連立式天守閣」や白漆喰総塗籠造の城壁などは、「白鷺城」とも呼ばれる美しい景観を生み出しています。その城内は巧妙な「螺旋式縄張り」が施され、要塞としても高い機能性を誇ります。
また、400年の歴史の中で、一度も戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかったために、城全体がよく保存され、内曲輪の城郭建築がほぼ完全に当時の様式を伝えている点でも全国的に貴重な文化財となっています。

兵庫南西部(姫路・赤穂)の宿泊施設一覧

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篠山城跡

1609年、徳川家康の命により大阪城攻略の拠点として、わずか6ヶ月で築城されたというのが篠山城です。
方形約400mの小規模ですが、要所には2重の枡型や、2重3重の櫓を配した堅固なつくりになっていました。
建物は取り壊されましたが、城郭は全て昔のままの姿をとどめており、特に南の馬出は土塁馬出として全国唯一のものです。
今も水をたたえる外堀に囲まれた城跡は、桜の名所としても知られ、観光客だけでなく市民の憩いの場になっています。


篠山春日神社

篠山春日神社は、876年奈良の春日神社の分霊を今の篠山城跡へ勧請したもので、篠山城が築城されるときに、現在の地へ移されました。
その境内にあるのが、1861年時の藩主青山忠良に寄進された能楽殿。
建設当時、箱根より西では最も立派なものだといわれた舞台です。
200余年の歳月を経た現在も、元日午前0時過ぎに行われる「翁」に始まり、春・秋年3回の能会や狂言が奉納され、雅びやかな芸術文化を今に伝えています。

兵庫南東部(芦屋・宝塚・三田・篠山)の宿泊施設一覧

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西宮観光協会 宝塚市国際観光協会 川西市観光協会
三田市観光協会 篠山観光協会 西紀観光協会




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